オフィスに焦点をあてる:オフィス回帰を阻む6つの壁とその対処法
仕事とワークスペースをメインテーマとする世界的な知識ネットワーク「WORKTECH Academy」(ワークテック・アカデミー)では、グローバルトレンドを俯瞰する多彩な記事を発表している。今回はそのなかから、2024年第2四半期トレンドレポート「TAKING AIM AT THE OFFICE」を抜粋し翻訳・編集して紹介する。
本トレンドレポートは、オフィス回帰の機運の高まりを前提に書かれたものである。オフィス出社をより厳しく求める企業が増えているだけでなく、対面で仕事上のネットワークを構築することを選ぶ若者も増えている。道路や鉄道の通勤ルートは以前よりも混雑している。
しかし、オフィス回帰を阻む壁がなくなったわけではない。むしろ、オフィスに対する批判はより多く、より深刻になっている。企業は通勤する価値を提供し、社員をオフィスに引き付けるため、批判に真正面から取り組むしかない。
そこで今回、オフィスに対する代表的な批判として「調整しづらい」「機能不全」「快適でない」「不健康」「排他的」「刺激的でない」の6つに焦点をあて、企業が現在直面している課題を探り、デザイン戦略や新たなテクノロジーソリューションといったワークプレイス革新の実践の参考材料を提示する。
1.調整しづらい(Uncoordinated)
オフィスに来る社員は、同僚と一緒に座ることを期待している。しかし、これには慎重な調整が必要である。
企業がさまざまなハイブリッドワークを採用するにつれ、オフィスへの出社状況はますます予測不可能になっている。従業員やチームは、オフィスで一緒に仕事をしたり、交流したりしたい人と時間を合わせるのに苦労している。せっかく出社したのに目的が果たせないと、「通勤の後悔」につながる。
ワークプレイスの調整の欠如は、解決が難しい問題である。JLLの「Global Occupancy Planning Benchmarking Report 2024(グローバルのオフィス稼働率のベンチマーク2024年)」によると、出勤日を明確に定めている企業はわずか15%に留まる。出勤日を決めないことで、従業員やチームの柔軟性は高まる一方、オフィススペースの管理には長期的な課題が生じる。
テック系スタートアップ企業であるデスクバード社の研究によると、オフィスでの生産性は、調整型ハイブリッドワークが実現できるかどうかに関連している。従業員がオフィスに出社した際に適切な同僚と会い、適切なスペースを予約できるようにすることで、調整型ハイブリッドワークが実現され、複雑なタスクにおける対面でのコラボレーションが可能となるほか、社員の士気も維持できる。
調整型ハイブリッドワークとは、ワークプレイステクノロジーを駆使した、体系的で組織化されたモデルである。新しいデジタルツールを活用して、経営者やCREマネジャー、ファシリティマネジャー、従業員は、誰がいつオフィスに来てどこに座っているかを追跡できる。これにより、従業員はオフィスにいるときに自分のスケジュールを自主的に計画できるようになる。
企業は多くの場合、従業員の出社時のパフォーマンスを評価する指標として生産性を重視するが、それは唯一の指標ではないかもしれない。ハーバード大学のエマニュエル氏、ハリントン氏とパレイス氏の研究では、「近接性は、短期的な生産性を犠牲にしても、長期的なソーシャルキャピタルの発展を増加させる」ことが示唆された。ソーシャルキャピタルは、職場での「弱い絆」の成長をサポートし、従業員がネットワークを広げ、同僚から学び、キャリアを築き、より創造的に考えることを可能にする。ネットワークを繁栄させるには、従業員がオフィスで適切な人々にアクセスできるよう、調整型ハイブリッドワークモデルが必要である。
■メタデータがネットワークに与える影響
クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド社のソフィー・シュラー氏とレイチェル・カサノバ氏が実施した組織ネットワーク分析(ONA)では、ワーカーは在宅勤務をする際、階層的で既存の枠内にとらわれた働き方をして、上司や親しい同僚などとの強い絆に頼ってネットワークを構築していることがわかった。対してオフィスに出社する際は、より社会的に統合され、ネットワーク化された成果を目指す傾向がある。
しかし、ハイブリッドなワークプレイスを調整するためには、組織のネットワークを深く理解する必要がある。企業は、コミュニケーションや拡張ネットワークに基づき、各日どのチームがオフィスにいるべきかをマッピングできなければならない。カサノバ氏とシュラー氏によれば、メタデータの助けを借りずにこの情報を得ることは非常に難しい。彼らの研究では、従業員の電話、電子メール、チャットメッセージのやり取りを記録したデジタルフットプリント(メタデータ)を通じて、組織ネットワークを調査した。
このデータを、稼働率や環境データなど、他の客観的なデータセットと統合して全体像を構築することで、企業は組織内に存在するこれまで目に見えなかった人間関係を定量化することができる。やがて、これらのアルゴリズムは、さまざまなネットワークにおけるコミュニケーションのパターンを学習し、予測することができるようになり、企業はこれを活用して、ビジネスの他の分野におけるネットワークを強化することができる。
クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド社の研究によると、職場で形成される重要なネットワークは6つある【図表1】。これらのネットワークはソーシャルキャピタルの一部であり、職場において大事に育て、管理されるべきである。
※ クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド社のレイチェル・カサノバ氏とソフィー・シュラー氏、「Does Space matter?(スペースは重要か?)」(2023年)を基にザイマックス不動産総合研究所作成
■事例:ワークプレイス調整の自動化
英銀行バークレイズはより良いハイブリッドワークを推進するため、従来のスペース予約モデルから、計画と予約をシンプルにする新しいAIツールへ移行し、ワークプレイス全体でのシームレスな連携に取り組んでいる。
以下の成果が期待されている。
- スペースを階層的なチームに結び付けるアプローチからの脱却
- ネットワークのパターン予測による、同僚やチームのリアルタイムで効果的かつ効率的な配置の実現
- オフィスの混雑状況の動的な管理による、ネットゼロ目標のサポート
そのために、同行はベンダーパートナーと協力し、チームが一緒に座るために必要な調整を簡素化する「チームメイト」という新製品を開発した。これはマイクロソフト・チームズに統合されているため、新たなプラットフォームを導入しなくとも使い慣れたUIで利用でき、パーソナライゼーションをサポートするように設計されている。
このプラットフォームでは、AIツールは、組織構造、プロジェクト、または単に一緒に座りたい人などの情報に基づいて、個人が属しているチームを識別し、指定された日にどこに座るべきかを自動的に計算する。
これは、従来のスペース予約の課題であった、ハイブリッドワークのさまざまなパターンに適応できないことからの大きな転換である。席の予約に加え、AIはよりスマートに会議室やリソースを予約できるようになる。たとえば、今いる場所からなるべく近い会議室を予約したり、車で通勤する場合は駐車場を自動的に予約したりする。
2.機能不全(Dysfunctional)
オフィスは新しいコンセプトを模索しているかもしれないが、まず第一に求められているのは、人々が仕事を遂行できるようにサポートすることである。
オフィスに対する最も根本的な批判の一つは、単に目的に合っていない、つまり、ワーカーが基本的な業務を遂行するのをサポートできていないというものだ。新しいワークプレイスのコンセプトは、機能向上よりも不動産コストの削減を目的としていることが多く、事態を悪化させる可能性さえある。
建築会社ゲンスラーが15ヶ国1万6,000人のオフィスワーカーを対象に調査した結果、従業員が出社する理由の上位は、個人作業やチームワーク含め業務に集中するためだとわかった。そのためには、ワークプレイスはさまざまな業務を効果的にサポートする必要がある。
さまざまなニーズに対応する多様なワークスペースを創出するために、多くの組織ではフリーアドレス席に移行し、ABW(Activity Based Working)のワークスタイルを導入している。そこでは、固定席はシェア席やタッチダウンポイント、オープンコラボレーションスペースなどのフレキシブルなワークスペースに代替される。社員は、好みや業務内容に応じて働く場所を選ぶことが奨励されているが、積極的に管理または効果的に設計されなければ、ワークプレイスが機能不全に陥ることも多い。
ドイツの研究者アンドレア・ゲルリッツ氏とマルセル・ヒュルスベック氏が、個人と企業のパフォーマンスとの関連において、オフィスコンセプトについての体系的な考察を行ったところ、劣悪なABWモデルはパフォーマンスを低下させるだけでなく、従業員の満足度と健康にも影響を及ぼし、初期のコスト削減効果を上回ることがわかった。
オフィスに戻る従業員にとって、仕事を遂行するための機能的なサポートや便利なシステムがますます重要となっている。
■事例:機能性とユーザーエクスペリエンス中心のワークプレイス
メタ社は、ロンドンのキングスクロスにある自社オフィスを、機能性とユーザーエクスペリエンスを中心に設計した。柔軟でハイブリッドな働き方のアプローチと、さまざまなアクティビティに対応する多様なワークスペースがバランス良く取り入れられている。
これらのワークスペースは、機能性を核に設計されており、以下のものが含まれる。
- 対面ミーティングスペース:オフィスにいるときはチームが密接に連携して働けるようにグループアドレス席を導入し、周りにはリモート会議ブースや電話ブースなど、さまざまなサイズの会議室が設けられている。小規模な会議室の多くには書き込み可能な壁があり、チームはいつでも活発で魅力的なブレストを行うことができる。
- バーチャル会議スペース:すべての会議室にカメラが設置されており、書き込み可能なスペースにカメラを向けることで、リモート参加者も会議室内の活動に参加できる。
- 個人作業スペース:メタ社の席配置はハイブリッドワーク施策を反映したものである。オフィス内の4,000人の従業員に対して15%にあたる1,528席が整備され、そのうち、毎日1,300席が使用されている。グループアドレス席の端には、プロジェクトで密接に作業する際の静かさとプライバシーを確保するため、可動式のパーテーションを備えた集中スペースもある。
- 学習スペース:新入社員向けのブートキャンプエリアが設けられており、新入社員全員がそこで入社式や新人研修を受ける。また、メンターシッププログラムでは専用のスペースが割り当てられ、新入社員が経験豊富な先輩社員と一緒にいる時間を確保し、特定の課題に取り組んだり、先輩たちの経験から学んだりすることができる。1階には大型スクリーンを備えた150人収容のイベントスペースがあり、ハッカソンなどの社内イベントが定期的に開催される。
- ソーシャルスペース:エレベーター周辺の人通りの多いエリアにはミニキッチンが設置され、全社員に軽食や飲み物、コーヒーなどを提供している。この配置により、人々が立ち止まって休憩することを促し、偶然の出会いをサポートする。
同社は、機能的なスペースを形成するにはテクノロジーエクスペリエンスが不可欠であることを認識しており、デジタルツールを正しく機能させるために、社内の技術サポートチームを設置している。各フロアにはテクノロジー自販機が設置され、ITヘルプデスクが閉まっているときでもケーブルやキーボード、マウスなどの必要な備品が無料で入手できる。また、修理が必要な機器を専用のロッカーに預けると、ITチームが受け取って修理し、持ち主のフロアに迅速に返送してくれる仕組みもある。
3.快適でない(Uncomfortable)
コロナ禍で自宅の快適さを享受していた従業員は、個人でコントロールできない一般的なオフィス環境に戻ることに抵抗を感じている。
コロナ禍中に在宅勤務を余儀なくされたワーカーは、自宅のワークスペースなら個人の快適さとウェルビーイングを最大限に高められることにすぐに気づいた。お気に入りの物に囲まれ、好きなアートを眺め、テクノロジーを適応させ、好きなものを食べ、雑音を遮断し、温度や照明を自分のニーズに合わせて調整できた。
一方、オフィスでは個人でほぼ制御できない大規模かつ一般的な環境で働くことが期待されるため、オフィス回帰を阻む要因として、心身の快適さの欠如が挙げられるのは当然である。
オフィスにおける心身の快適さの欠如については、『Journal of Environmental Psychology(環境心理学研究)』誌(2024年5月号)に掲載されたハーバード大学デザイン大学院のチャル・スリバスタヴァ氏の研究でも示唆された。同研究では、米国とカナダのワーカー600人以上を対象とした調査を基に、オフィスと自宅での生産性とウェルビーイングを比較した。その結果、オフィスで働くほうが生産性が有意に高い一方、快適さとウェルビーイングは在宅勤務のほうが有意に高いことが明らかになった。
また、リーズマン指数の最新調査では、自宅環境は依然として「平均的な」オフィス環境よりもナレッジワーカーをサポートするのに優れているとされている。企業がワークプレイスエクスペリエンスの向上を図るためには、快適さという基本的な要素が不可欠となるだろう。
■音響プライバシーの確保という難題
オフィスの快適性を向上させるうえで最も難しい課題の一つが、音響プライバシーである。フィンランドの研究者ジェンニ・ラドゥン氏とヴァルテリ・ホンギスト氏(2023年)が、屋内環境品質(IEQ:Indoor Environmental Quality)と職場で求めていることとの整合性について、82,315人を対象に調査した大規模なグローバルデータベースを基に分析した結果、騒音への不満は、個室オフィスへの選好と強く関連していることが明らかになった。この結果からラドゥン氏らは、「個室オフィスを提供できない場合、少なくともシェア個室オフィスや、モバイルポッドやブースなどの防音ワークスペースを導入すべき」と提唱している。
また、シドニー大学の研究者トーマス・パーキンソン氏らは、「Common Sources of Occupant Dissatisfaction with Workspace Environments in 600 Office Buildings(600のオフィスビルにおけるワークスペース環境に対する入居者の不満の共通要因)」の論文(2023年)で、建築環境センター(CBE)が実施した入居者調査を基に考察した結果、「不満原因の最上位は音響」であり、次いで温度、視覚的プライバシーと照明であった【図表2】。
※ シドニー大学のトーマス・パーキンソン氏ら、「Common Sources of Occupant Dissatisfaction with Workspace Environments in 600 Office Buildings」(2023年)を基にザイマックス不動産総合研究所作成
リーズマン社のレポート「Power of Place:the difference between average and outstanding(場の力:平均と卓越の差)」(2024年)でも一貫した結果が示されている。同研究では515の職場と2万4,000人以上の従業員のエクスペリエンスを調査し、平均的なナレッジワーカーは、平均的なオフィスよりも平均的な自宅でより適切にサポートされているという結果を導き出した。また、改善するための重要な要素として、プライバシーと集中力が挙げられている。ほとんどの人は自宅で良好な音響プライバシーを享受しているため、オフィスでは集中できるスペースへの期待が高まっているのである。
今後は、パーテーションや個室ブースの増加、キュービクルの復活、そして、特に自然の癒しの音を提供するサウンドスケープをオフィスに取り入れることへの関心が再燃するだろう。
■事例:快適性向上の取り組み
旅行ウェブサイトBooking.com社、アムステルダム:アムステルダムの新キャンパスは、6,500人の従業員の快適性を最優先して設計された。このスマートビルは、市内に分散していた11拠点を1つの巨大なロケーションに集約・統合し、2023年に開業した。ビル全体にセンサーが配置され、稼働率や使用状況に基づいて照明や温度を調整する。1万1,000本以上の植物を配したバイオフィリックデザインが採用され、随所にサステナブル素材が使用されており、インテリアは11人の建築家の協力で、中庭を中心にセレンディピティ(偶然の出会い)を促すように設計されている。また、建材にピンホール加工を施して音を吸収させるなど、音響にも配慮されている。
経営コンサルティングEY社、ストックホルム:多国籍企業であるEY社は、スウェーデン本社を「物理的環境(bricks)、テクノロジー(bytes)、行動(behaviours)」の柔軟な戦略に基づくハイブリッドな働き方の、グローバルな実験台として活用している。数多くの変革のなかでも、バイオセントリック照明(BCL)システムの導入は特筆すべきものだ。これは、室内で日光を再現し、健康やウェルビーイングに寄与する安定した概日リズムをサポートするように設計された照明であり、従業員は室内のコントローラーを使って、使用しているスペース内の「シーン」をカスタマイズできる。この実証の結果、ユーザー満足度が13%、効率が26%向上した。
ING銀行、アムステルダム:2020年にアムステルダムにオープンした同行の新本社ビル「Cedars」は、一連の「ノイズゾーン」を設けており、音響品質に多大に配慮した設計を実践している。これらのゾーンは、エレベーター脇の賑やかなエリアや、同僚が集まって雑談するパントリーエリアから、より静かな執務席エリア、読書テーブルや個室ブースを備えた最も静かな図書館スタイルのエリアへと放射状に広がっている。建物の中心には、広々としたアトリウムが2つ設けられている。
4.不健康(Unhealthy)
オフィスは依然として健康状態の悪化や汚染と関連付けられているため、企業が従業員をオフィスに呼び戻すためには、ウェルビーイングに本気で取り組む必要がある。
オフィスが不健康で汚染された場所であるという考えを払拭するのは非常に難しい。コロナ禍中、感染拡大防止のためにオフィスが閉鎖されたことから生じたこの先入観は、企業がオフィス環境における健康を改善するために、空気質の向上やバイオフィリア、スマート照明、栄養価の高い食事の提供といった多大な努力をしてきたにもかかわらず、根強く残っている。
職場でのウェルビーイングを向上させるために、従業員は何を求めているのか? イルディリム氏らの研究(2024年)によると、緑、窓からの自然の眺め、自然光と視覚的快適性は、職場で従業員に最も良い影響を与える要素である。さらに、屋内環境品質(IEQ)の低さが、ストレスや疲労、燃え尽き症候群など、心身的健康の悪化と関連していることも研究で示唆されている。
また、日常的に体を動かす機会がなく座りっぱなしのワークスタイルは、より大きな課題となる。カナダのスティーブ・パース氏らの研究(2024年)では、「長時間の座りっぱなしは、身体的、生理的および認知的システムに影響を及ぼし、いくつかの健康への悪影響と関連している」と指摘されている。
公共交通機関を使って通勤するだけでも、健康に影響を及ぼす可能性がある。また、2023年のスペインの調査では、車通勤者は徒歩や自転車などのアクティブな通勤をするワーカーよりも通勤コストが高く、メンタルヘルスの状態も悪いことが示唆された。
オフィスをより健康的な場所にするためには、ストレスを減らすことが重要である。そのための一つの方向性として、騒音や照明、温度、空気質などのIEQパラメータと、家具、色、バイオフィリックデザイン、窓へのアクセスで構成されるインテリアデザインという2つの要素に注目することが考えられる。
次の節では、より健康的なワークプレイス環境を構築するための新しい考え方を紹介する。
■脳の健康をサポートするワークプレイスへ
米国の建築設計事務所HKSが脳健康センターと共同で、「脳の健康に良い」職場環境を創造するうえでの場所、プロセスおよび技術の役割について考察した結果によると、オフィス環境の健康を促進するために、脳の健康をサポートするワークスペースを備えることが重要であることがわかった。
同研究では調査や観察、インタビューが行われ、定量的および定性的な分析の結果、以下7つの重要な発見が明らかになった。
- 脳を鍛えることができる。
- オフィスで集中作業を行う際の主な課題は、気を散らす要素の管理である。
- マルチタスクは、仕事効率の低下や燃え尽き症候群の増加につながる。
- どこで働くかは重要であり、さまざまなスペースを活用することが有効である。
- デジタルと物理的なワークプレイスの習慣を身につけるには時間がかかる。
- 対面で一緒に働くことは、チームとのつながりを向上させ、インフォーマルな知識共有の促進につながる。
- 自分のチームとのつながりは強く認識される一方、コミュニティとのつながりはそれほど認識されない。
また、従業員が職場環境に慣れるための時間が与えられることで、最適な効率が達成されることや、オフィスにはコラボレーションのための場だけでなく、集中作業のためのスペースも重要であることが明らかになった。後者には適切な音響環境や、作業環境をコントロールできることが必要である。
さらに同研究では、脳の健康をサポートするワークプレイスを実現するために、「探求とアイデア発想」「コラボレーションと共創」「集中」「休息と内省」および「社会的つながり」という5つの主要な要素を提唱したうえで、脳の健康をサポートするワークプレイスを支える3つの基本的な習慣(いわゆるワークプレイスABC's)を特定している。
- 整合性(Alignment):作業の内容とその作業環境を整合させる。
- バランス(Balance):1日の勤務のなかで業務に多様性をもたせる。
- つながり(Connection):帰属意識を高め、目的意識を育むために、周囲とのつながりを形成する。
さらに、自転車ロッカー、シャワー、自転車修理店などの設置や、勤務中に移動する機会の提供など、アクティブな通勤・移動の促進に取り組むことも、脳の健康的なワークプレイスを推進するための最良の方法の一つであることが明らかになった。
■事例:「不健康」という偏見の払拭
マイクロソフト社、ダブリン:メンタルヘルスを重視した同本社ビルでは、中央のアトリウムに島が配置され、12万5,000個のLED照明が滝のような視覚効果を生み出している。滝と湖に見立てた木製の階段の組み合わせは、自然の瞑想的な力を建物内にもたらし、従業員の心を落ち着かせ、穏やかな雰囲気をつくり出している。このスペースは多機能で、瞑想する場所としても講堂スペースとしても利用できる。また、ウェルネスセンターやジム、ヨガスタジオ、自家製パン屋、複数のトリートメントルーム、訪問美容師など、従業員の心理的な健康を重視したファシリティを充実させている。
エッジ・ウエスト、アムステルダム:総床面積6万平方メートルの同ビルは、洗練されたテクノロジーと入居者の健康およびウェルビーイングに焦点を当てて設計された適応的再利用プロジェクトであり、テナントにはアリアンダーN.V.社やシグニファイ社、ベーリンガー・インゲルハイム社、アトラ・オランダ社などが入居している。大手照明会社であるシグニファイ社との提携により導入した、バイオフィリックデザインの原則に基づいた照明イノベーション「ネイチャーコネクト」は、昼光の自然なパターンを模倣し、快適で魅力的な室内環境を実現する。
10エクスチェンジ・スクエア、ロンドン:ロンドンのブロードゲートにある開発業者ブリティッシュ・ランド社の同ビルは老朽化していたが、快適なソーシャルロビーとアクティブな移動を促す方針で改築され、駐輪場や自転車修理店、自転車通勤後に利用できるシャワーも設置された。これらの変化は従業員のニーズの増加を反映しているだけでなく、健康増進のための自転車通勤を奨励している。
5.排他的(Exclusionary)
企業が多様性、公平性と包括性について語るようになった。しかし、職場でのエクスペリエンスを真にインクルーシブなものにするには、さらなる努力が必要である。
ワークプレイスに対するもう一つの大きな不満として、オフィスが包括的でないことが挙げられている。一部の人々のニーズや価値観がほかの人々よりも優先され、従来排除されてきた人々は、権力、順応性および統制の深く根ざした構造により、依然として締め出され続けている。
デザイン史家のジェニファー・カウフマン‐ビューラー氏が、著書『Open Plan:A Design History of the American Office(オープンプラン:アメリカのオフィスデザインの歴史)』で、オープンプランの空間がどのように進化しようとも、白人で健常な専門職男性のニーズが常に、女性や有色人種、障がい者のニーズよりも優先されてきたと指摘している。ほかにも、高齢者や神経多様性者、LGBT+などの従業員も劣る立場に置かれている。同氏は「オープンプランは、すべての立場の労働者が平等に扱われる場所ではなかったし、平等であると想定されることすらなかった」と述べた。
ワークプレイスのこの排他性は、企業の業績に重要な影響を与える。多くの研究では、より多様で多文化的な労働者に、成長するための適切な働く環境を与えることで、より迅速なイノベーションやより良いアイデアが生まれることが示唆されている。
また、個人に居場所がないという感覚を与え続けることはメンタルヘルスに悪影響を及ぼすため、従業員のウェルビーイングを向上させるために、包括的なアプローチをとることが重要である。
ワークプレイスの排他性に対処するには依然として課題が残っているが、幸いなことに、包括的なデザインに関するガイダンスや、変化をもたらす幅広い戦略は豊富にある。たとえば、ボストン大学公衆衛生学部の研究チームは、2024年2月に『American Journal of Health Promotion(アメリカ健康促進ジャーナル)』誌に発表した論文のなかで、従業員の健康に加え、多様性、公平性および包括性(DEI)の取り組みをより広範な組織戦略に組み込むことが「包括的な職場環境と従業員のウェルビーイングを促進する公平な慣行を育成するための重要な一歩である」と主張している。
■事例:ワークプレイスの排他性に対処する取り組み
排他的な慣行に対処し、より包括的な職場環境を実現するために、世界中の組織がワークプレイスを再考し始めている。テクノロジー会社MRIとワークテック・アカデミーの共同レポートでは、オフィスをより幅広いニーズに対応させるための4つのデザインアプローチを提唱した。
- バリアフリーのワークプレイス:運動障害や、視覚・聴覚に障害のある人々も含めすべての従業員が平等にアクセスできるように設計されたワークプレイスは、もはや企業にとって選択肢の一つではなく、必要不可欠なものとなっている。アクセシビリティ基準を満たせない企業は、人材を失うことになるだろう。
たとえば米国アイオワ州ドレイク大学のハーキン公共政策・市民参画研究所では、すべてのスタッフや訪問者が平等にアクセスできる建物の設計を基本としている。廊下や通路の幅を広くとることで、車いす利用者が同僚と並んで移動できるようにし、ワークスペース内の机はすべて車いす利用者のために高さ調節が可能である。会議室では、参加者全員が話している人の顔を見られるように、個別のテーブルが円形に配置されている。これは、会議中に口の動きを読む必要がある聴覚障がい者にとって特に重要である。
- 神経多様性(ニューロダイバーシティ)のあるワークプレイス:環境に対して過敏な人と鈍感な人の両方のニーズに対応できるように設計されたワークプレイスである。
たとえば、米ノースカロライナ州シャーロットにあるハネウェル社のオフィスは、異なるチームが同じ空間で仕事をするため、近接しつつ独立したスペースをつくるというアイデアに基づいて設計されており、各スペースは異なる作業環境を提供している。オープンプランオフィスの騒がしいエリアから離れ、静かに内省できる環境を提供するため、いくつかのスペースには動的な照明と緑を備えた個室ブースが使用されている。このアプローチにより、さまざまな感覚のニーズを持つ従業員が自身の作業要件に適したスペースを見つけることができる。
- 階層のないオフィス:従来の階層的な職場に対して、民主的なアプローチを採用したワークプレイスである。コロナ禍後の社会変化に後押しされ、より公平で包括的なものとして注目されるようになったこのデザインアプローチでは、年功序列や給与に関係なくスペースが平等に共有される。
たとえばニューヨークの広告会社バーバリアングループは、オープンプランオフィスのスペース全体にわたって木製の長いデスクを1つ設置した。これにより、インターンと社長が同じデスクを共有し、誰もが対等な立場でミーティングスペースやその他のアメニティにアクセスできる。
- コミュニティ・ベースのオフィス:特定のアイデンティティや関心、慣習を基盤としたワークプレイスである。
女性とノンバイナリーの人々のために特別に設計された、米ミネソタ州セントポールにあるコワーキングスペース「The Coven」はその一例である。安全で協力的かつクリエイティブなコミュニティを生み出すため、特定の顧客を念頭に置いて設計されたものであり、自然光や高い天井、ピンク色の床、目を引く壁画など、従来のオフィスデザインよりも女性らしいアプローチがなされている。
6.刺激的でない(Unstimulating)
企業が創造性と革新性を高めるためには、単調で退屈なオフィスを変える必要がある。
オフィスに対する不満の最後の項目は、オフィスが単に刺激的な場所ではないということである。一般的で反復的で当たり障りのない、退屈なワークプレイスでの標準的な日常の体験は、創造性を抑制し、イノベーションを阻害する可能性がある。ジェレミー・マイヤーソン氏とフィリップ・ロス氏は、著書『Unworking:The reinvention of the modern office(働き方改革:現代オフィスの改革)』で、「新しいアイデアを生み出し、限界を押し広げることが目的であれば、オフィスにはある程度の予測不可能性が必要だ」と述べている。
オフィス回帰の進みが遅いため、多くのワークプレイスは不気味なほど静かで社交的な活気に欠け、刺激不足に拍車をかけている。ユニスペース社が欧州3,000人のオフィスワーカーと2,750人の雇用主を対象に調査を行った「The Reluctant Returner(不本意なリターナー)」の報告では、雇用主の考える創造力を刺激する環境と、従業員が本当に求めているものとの間に乖離があることがわかった。
どうすればこのギャップを埋めることができるのだろうか? コレンベルグ氏らの研究(2023年)によると、企業は社会的な交流につながらない、創造性に欠ける味気ないワークスペースに固執しているとチャンスを見逃してしまうかもしれない。また、バツール氏らの研究(2021年)によれば、従業員にとってより刺激的なオフィスにするためには建物の外観ファサードさえも重要であり、第一印象が大事だという。
インテリアでは、視覚的に魅力がなく刺激の少ないデザインがもたらす慢性的な退屈さも考慮すべき要素の一つである。イリノイ大学の教授シャフラム・ヘシュマット博士によると、職場の単調さは、仕事の経験を目新しく感じられなくなることで引き起こされると説明している。いったん脳がある経験に慣れると、報酬を求めなくなり、その結果モチベーションが低下する。
この課題の解決には、壁のアート作品を変えたり、スペース内でイベントを企画したり、オフィス家具やインテリアを組み替えたりするなど、従業員の要望を常に見直すことが必要だ。
■事例:「個性への逃避」
多くのグローバル都市では、現在、オフィス不動産における企業の「質への逃避」の追求がみられている。しかし、高いサステナビリティ評価や技術的な卓越性だけでは、もはや人々をオフィスに呼び戻せなくなるかもしれない。コンサルタント会社ERA-co社は、特に歴史的建造物を再利用したワークスペースにおいて「個性への逃避」を追求することで、より多くの意味や目的、納得感を提供できると提案している。このアプローチの事例としてオーストラリアでの3つの事例を紹介する。
M&Cサーチ社、シドニー:100年以上の歴史がある指定文化財のスペースを、多様な広告会社のための個性的な拠点に生まれ変わらせた。スペースの個性やつながり、広さを生かした「エンジンルーム」(仕事のための大聖堂)のほか、小規模で独創的な隠れ家やミーティングスペースもある。スペースの多様性と要素の変化が、より多様で興味深いワークプレイスをつくり出す。かつてはミニマリズム(完成度を追求するために、装飾的趣向を必要最小限まで省略するスタイル)の追求で覆い隠されていたかもしれない歴史的建造物は、華麗な過去の成功と革新の物語を思い起こさせる効果を持つ。こうした豊かで重層的な空間は、シンプルでエレガントなインテリアをつくりあげるための理想的なベースとなる。
グッドマン・ヘイズベリー社、シドニー:古い帽子工場を、光あふれる緑豊かでインダストリアルシックなキャンパスに改装した。産業遺産を生かしたこのプロジェクトは、建物の歴史と工業的なイメージをグッドマン社の市場ポジションと結び付けることで、従業員のワークエンゲージメントとスペースの稼働率や利用状況の向上をサポートするインダストリアルなスペースをいかに創造できるかを示す先駆けとなった。
ヤングハズバンド羊毛店の再開発、メルボルン:メルボルンの内西部郊外ケンジントンに位置するこのプロジェクトは、築123年の赤レンガ造りの羊毛店と、隣接する20世紀初頭の工業用建物群を再利用した重要なアダプティブリユースの事例である。ヤングハズバンドの豊かな歴史は、最初の羊毛店が建てられた1901年まで遡ることができる。その後、この元店舗はさまざまな用途への適応を経て、現在は建物の質感と風合いを生かしたオフィスや商業施設を備えた複合施設への改造工事が進められている。建物の特徴を保つため、職人が失われた伝統的な建築技術を学び直し、ヘリンボーンの木造床構造など、当時の技法を可能な限り忠実に復元している。
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荒川豊/九州大学 大学院システム情報科学研究院 教授
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