【WORKTREND㉝】理想都市のアイデアに学ぶ、日本の都市が目指すべき方向性
宇於﨑勝也/日本大学 理工学部建築学科 教授
コロナ禍は都市のあり方を再考する契機となった。テレワークにより都心に通勤しなくてもオフィスワークが可能となったことで、「コンパクトシティ」や「職住融合」といった都市のアイデアが現実味を帯びたのだ。これらの議題は、人口減少をはじめとする社会課題の解決の糸口としても関心度が高い。「課題先進国」日本が目指すべき都市とはどのようなものか。思考の材料とするため、多くの自治体のまちづくりに携わってきた都市計画の専門家に、過去になされてきた都市への提案とその意義について話していただいた。
職住近接を夢見た「田園都市」構想
近代都市計画が生まれた背景には、産業革命による都市環境の悪化がありました。ロンドンなどの大都市に工場が登場して人口が急増し、公害や伝染病で多くの労働者が命を落とした。労働者の住環境を改善して生産性を上げるために、工場主が計画したのが「カンパニータウン」と呼ばれる都市のアイデアです。郊外に立地し、労働者住宅と職場(工場)をあわせ持つ点が特徴で、今でいう職住近接と郊外居住の先駆けといえます。
カンパニータウンは19世紀半ばから欧米全土の工場主によって多数開発され、その後も社会課題解決のためにさまざまな理想都市案が生まれました。カンパニータウンの理念を採り入れ、1898年にエベネザー・ハワードにより提案された「田園都市」はその代表です。自然豊かな土地に、職・住と日常生活の機能を備えた小規模都市を開発し、他の都市とネットワークさせる構想で、現在日本が掲げるコンパクトシティ構想にも通じるものです。都市に工場を誘致するとともに外周を農地で囲み、人口3万2,000人(市街地3万人、農地2,000人)を維持できるだけの産業を確保することで、都市の経済的自立を目指した点が特徴でした。
ハワードは英国に2つの田園都市を開発しましたが、結果的には工場誘致が不十分で労働者の仕事が足りなかったことや、家賃が高すぎたこと、自治的な都市運営に携わるだけの教養が住民に求められたことなどから富裕層しか住めない町になりました。現在も環境のよい郊外住宅地として人気ですが、多様な職業の人が社会的均衡を保ち、都市内で職住生活を完結させるというハワードの理想は実現しなかったのです。
工業社会を肯定した近代的理想都市
田園都市は工業化への反発と中世都市への回顧を孕むものでしたが、否応なく進む工業化を肯定し、都市計画によって新時代の課題を解決しようとする動きが生まれました。1904年のフランスで原案が提案された「工業都市」はその一つです。
機能によるゾーニングが明示された最初の都市案で、川沿いの工業エリアと台地の居住エリア、高台の病院エリアを分離して各エリアを路面電車で結びます。工場の粉塵が住宅に飛ばないように、工業エリアと居住エリアとの間には緑地帯を設ける設計でした。発電から製鉄、製品製造、川を経由した輸出までを一貫して一つの街で行うアイデアが164枚の図面によって具体的に示され、新技術と理論に基づく都市計画が模索されていく契機となりました。
工業都市の合理主義に影響を受け、近代建築の巨匠ル・コルビュジエが1922年に発表したのが、当時のパリ全域を想定した「300万人のための現代都市」計画です。都市を「社会生活のための機械」と位置付け、4つの機能(住む・憩う・働く・移動する)によって都市空間を構成しました。中心部は超高層オフィスビル群と中層の共同住宅群、地下鉄道や高架道路などによる立体的な構造で、郊外部に家族向け住宅や工場ゾーンなどが配置される黄金比を基調とした設計です。中心部のビルを高く積み上げることで、土地に占める建物の割合を減らし、人口密度を高めながら緑あふれる空間を確保するという画期的なアイデアでした。
ル・コルビュジエは新時代を礼賛し、都市計画においては既存都市の更新ではなくゼロから創ることを重視したため、すでに成熟都市であったパリでは計画を実現できませんでした。しかしその後、1950年代にインドの新州都(チャンディガール)やブラジルの新首都(ブラジリア)の建設では彼の思想が反映されました。現在チャンディガールは周辺人口を含めて167万人の大都市となっています。
ニュータウン開発の下地となった「近隣住区」
日本への影響でいうと、アメリカで生まれた「近隣住区」理論も重要です。1920年代に自動車が爆発的に増え、交通事故や渋滞、排気ガスなどの問題が噴出したことから、自動車が進入しない「住区」という標準単位の中だけで日常生活が成り立つように考えられたものです。特に交通事故では子供が犠牲になったため、各住区の規模は小学校が1校維持できる人口5,000人~1万人、半径400mほどとし、住区内のどこからでも幹線道路を超えずに学校や教会などにアクセスできるよう設計されました。
この理論は各国のニュータウン開発に影響を与え、日本初の大規模ニュータウン計画である「千里ニュータウン(1961年着工)」にも適用されています。ただし、出発点に「子供を守る」を据えた近隣住区理論に対しては、小学校区という単位が行政区域や店舗の商圏などさまざまな圏域と一致しないという批判が当時からありました。商業面の便利さがあまり優先されていない点なども現代の価値基準とは合わず、その後の日本のニュータウンでは人口減少や高齢化などが課題となっています。
こうした点について、もともと発案者のクラレンス・アーサー・ペリーは「地域の実情に合わせて調整すべし」という考えでした。今日、小学生の行動範囲はスマホや自転車、公共交通の発達で広がっていますし、「幹線道路を渡らない」というポイントを生かしつつ現代に合った圏域の設定を模索することは可能でしょう。過去のアイデアの優れた点を学び、現代の行動様式と価値基準に合わせてアップデートしていけばいいと思います。
「今日も30年後も必要か」議論を重ね、改訂していくのが都市計画
日本は人口減少社会への対応としてコンパクトシティ構想を掲げ、多くの自治体が立地適正化計画(*)を策定していますが、具体的なコンパクト化の方法論にまで踏み込んでいる自治体はまだありません。空き家問題も同様ですが、個人の財産である住宅などを行政がコントロールする難易度は非常に高く、数十年単位で取り組むべき課題が山積しています。
- * 立地適正化計画……コンパクトで効率的なまちづくり推進のため、都市再生特別措置法に基づき自治体ごとに居住機能や医療・福祉・商業、公共交通等の都市機能を誘導する区域を定めるもの。2023年3月31日時点で504市町村が計画を作成・公表している。
それでも都市の在り方を模索するうえで、過去のアイデアから学べることは多いと思います。たとえば、田園都市は郊外に仕事を用意できなくて失敗しましたが、テレワークが普及した今なら実現可能かもしれません。近隣住区も時代と地域にあわせた調整は必要ですが、子供の安全を第一に考えるなら有効です。
都市をめぐる新たな動きもみられます。職住近接の進展をはじめ、エリアや不動産の用途が混在化しつつあるのはその一つです。都市計画法による用途地域の区分は続くものの、コロナ禍では飲食店支援や三密回避の観点から、沿道の飲食店が客席などを設けるために道路空間を利用しやすくなる特例が発出されました。今まで民間利用が厳しく制限されてきた公共空間を活用するトレンドは今後も盛り上がると思います。もちろん、機能が混在すると軋轢が生じることもありますから、社会実験としてトライアンドエラーを重ねていくことになるでしょう。
都市計画は今ある社会課題を解決するためのものです。たとえばコロナ禍以前につくられた計画は、テレワークやDXの進展を加味して再構築する必要があるかもしれません。都内には第二次大戦前に決まった道路計画なども残っていますが、本当に今造る必要があるのか、30年後も必要なのかという根本的な議論を重ねなければならない。時代と課題は刻々と変わりますから、図面を引いて完成ではなく、皆で話し合って合意を形成し、次々と改訂版を出す前提で構築していくものであるということを知ってもらえるとうれしいです。
うおざき・かつや
日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。現在は学生指導の傍ら、地方自治体の都市計画審議会委員、建築審査会委員、空家等対策協議会委員などを務める。主な著書に小嶋勝衛・横内憲久監修『都市の計画と設計 第3版』、一般社団法人日本建築学会編『景観計画の実践』など。
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