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【WORKTREND⑭】調整型人事から脱却し「人的資本経営」を目指す企業へ

片岸雅啓/経済産業省 経済産業政策局 産業人材課 課長補佐

企業を取り巻く変化のスピードが増し、事業継続の難易度が高まるなか、経営における「人」の重要性が増している。経産省が2020年9月に発表したレポート「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~人材版伊藤レポート~」(以下「人材版伊藤レポート」)では、企業価値向上につながる人材戦略の方向性が示されたが、企業が対応すべき課題は広範かつ複雑だ。挑戦する企業へのメッセージとして、人的資本経営推進に関する政策を担当する経済産業省 片岸雅啓氏にインタビューを行った。

経済産業省 経済産業政策局 産業人材課 課長補佐 片岸雅啓氏

人材は、投資することで価値が伸び縮みする「アセット(資産)

「人材版伊藤レポート」取りまとめに至った背景の一つに、グローバル化やデジタル化、少子高齢化といった企業を取り巻く環境変化の加速がありました。たとえば、デジタル化で「winner takes all」の経済に移行するなかで、日本企業が強みとしてきた“すり合わせ”による競争優位が減退して、勝ち筋の再検証が必要になっていますし、海外市場でシェアを獲得しようとする企業には多様な顧客ニーズへの対応が求められています。また、人生100年時代には個人の活躍期間が会社の寿命より長くなるケースも出てくるなかで、個人のキャリア観も転換期を迎えています。

こうした環境変化のなかで持続的に企業価値を高めていくためには、経営戦略やビジネスモデルを変えるだけではなく、その実現を担う「人」の価値をあらためて認識し、人材戦略をもっと経営に紐づける必要があるのではないかという課題意識がありました。

そもそも日本の人事部は、「人事戦略が経営戦略に紐づいていない」という課題を抱えているため、残念ながら価値創造の源泉とはみなされていないのが現状です。しかし本来、経営戦略の実現を担保しているのは人です。人材を「リソース(資源)」ではなく、投資することで価値が伸び縮みする「アセット(資産)」であると認識し、人材戦略を経営戦略と連動させることで価値を生み出す。それこそが人的資本経営であり、その実現が企業価値の継続的な向上につながるという整理をしました。

事業部門のビジネスパートナーとしての人事部

もちろん、人事部のケイパビリティの問題は認識しています。人事部が担う業務のうち、労務管理については各種サービスや技術を使って負担軽減するなど、リソースを価値創造に振り向けられるような体制構築が必要でしょう。そのうえで、人事部門や執行レベルの人事責任者が経営戦略の策定からしっかり参画するとともに、各事業部門のビジネスパートナーとしての機能を発揮することで、人事部の価値があらためて見直されると考えています。

各事業部門との連携においてはコミュニケーションが不可欠です。たとえば、CHRO(最高人事責任者)がCTO(最高技術責任者)やDX担当と定期的に話す機会を持つことで、DX推進に本来必要な人材の質・量と現状とのギャップを把握し、そのギャップをタイムリーに埋めることができる。先進企業に話を聞くと、皆さん共通してコミュニケーションに労力をかけていらっしゃいます。もちろん、事業戦略を理解している人材を人事に起用することや、人事部門の活動を理解する経営陣のコミットも重要になるでしょう。

ポートフォリオ発想で必要な人材要件を定義する

ここ10年ほどで「人事観点の経営改革」という発想は注目されてきた一方、経営戦略と人材戦略の連動についてはまだ一歩目の模索段階だと思います。経産省としても機運醸成に努めていますが、人材戦略の改善は一朝一夕ではいきませんし、個社性が高いため絶対的な正解もありません。

ただ、ある程度共通する部分がないかということで、レポートでは3つの視点・5つの要素という整理をしました。自社の人材戦略を俯瞰するための3つの視点が、「経営戦略と人事戦略の連動」「As is(現在の姿)とTo be(目指すべき姿)のギャップの定量把握」「企業文化への定着」です。それから、人材戦略に求められる5つの共通要素にも言及しています。

人材戦略に求められる3つの視点・5つの共通要素(3P・5Fモデル)の図解(出所:人材版伊藤レポート)

1つ目の「動的な人材ポートフォリオ」についてですが、今後事業ポートフォリオが柔軟に変わっていくのであれば、ピボットしていく先の事業に必要な人材の獲得・育成など、人材ポートフォリオも柔軟に考えていく必要があります。現状ではこのポートフォリオ発想がなかったり、あっても必要な人材の要件定義がなされていなかったり、調達方法がわからなかったりする企業が多いのではないでしょうか。まずは個人のジョブディスクリプションの明確化や、組織のミッションと紐づけて必要な人材要件を発信するといった対応が考えられます。

求められる人材要件と現状との差分を把握するために、従業員のスキルや経験をデータとして蓄積することも有効で、HRテクノロジーがその業務の効率化に貢献する部分は大きいと思います。ただ、当然ながらHRテクノロジーを導入すればいいということではなくて、何のために導入し、どういう意図を持って誰がどんなデータを蓄積するのか、しっかりと検討することが重要です。

従業員が働く意義を見失わないためのコミュニケーション

ほかに「知と経験のダイバーシティ&インクルージョン」「リスキル・学び直し」「従業員エンゲージメント」「時間や場所に捉われない働き方」の4つの共通要素を提示しました。

従業員エンゲージメントにフォーカスすると、特にテレワーク環境下で組織の遠心力が働きやすくなっている今、社員が「何のためにこの仕事をしているのか」を見失わないために企業のパーパス(存在意義)の発信が重要になっています。その企業やビジネスが社会にどのようなインパクトを与え、存在感を発揮しているのかといった部分をまずは発信し、パーパスというレンズを通じて個別の業務を社会的意義につなげていく必要があるのです。そこは企業が手助けできる部分でもあるし、個人も意識的であるべきだとは思います。

パーパスこそが企業の競争優位性なので、そこに紐づいて経営戦略、さらに人材戦略が決まり、さまざまな人事施策が進められていくことになりますが、その際も発信の仕方が肝になると思います。社員研修を行うにしても、ばらばらと提供されるだけでは企業側の意図を理解しづらいので、「こういう状態を目指しているからこの一連の研修を提供します」「事業ポートフォリオがこう変わっていくからこの学び直しが必要になります」など、全体感や意味付けを意識したコミュニケーションをとることで理解を得やすくなると思います。

ですから、一方通行の“発信”ではなく双方向の“対話”と言っています。ポータルサイトに載せて終わりではなく、従業員の興味関心や挑戦したいこと、キャリア開発として望むことに耳を傾ける姿勢や、ある人事施策を行った結果とそれに対する反応を踏まえて新しい取り組みにつなげていくといった姿勢が大切なのではないでしょうか。

“対話”は急速な変化についていけない人や、なんとなく他人事のように考えている人に対しても有効なアプローチになるかもしれません。一人ひとりを適切に導くためには、「何故あなたにこのスキルが必要なのか」といった個別化したコミュニケーションが必要だと思います。

機運醸成の次の段階へ

人材戦略は経営戦略に連動して常に変化していくべきものであるうえに、取り組めば取り組むほど新たな課題が見えてくるため、常に道半ばという評価にならざるをえません。また、企業や業界によってグラデーションが大きく、一概に指標をつくって進んでいる、遅れているとは言えない難しさもあります。

「人材版伊藤レポート」においても、最初からすべてに取り組んで100点を目指すのではなく、自社の置かれた状況や、理念、経営戦略を鑑みながら、人的資本経営への転換に向けた絶え間ない取り組みを続けていただければと考えています。経産省としても、人的資本経営の実装という観点から力になれるよう、引き続き検討を重ねていきたいと思います。

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