2025.09.16
オフィスビルのウェルネス性能の経済価値
~CASBEE‑ウェルネス不動産(試行版)を用いた実証分析~
1. はじめに
オフィスビルは、多くのワーカーが一日の大半を過ごす場所であり、単なる作業空間を超えて、快適性・健康性や生産性の向上といった「ウェルネス性能」が求められるようになってきた。
こうした社会的要請を背景に、2019年にはオフィスビルのウェルネス性能を総合的に評価する認証制度「CASBEE-ウェルネスオフィス(CASBEE-WO)」が誕生した。新築の大型オフィスビルを中心に取得が進む一方、認証取得に要する手間やコストが障壁となり、既存ビル、とりわけ中小規模ビルでは普及に一定のハードルが残されている。
この課題を踏まえ、CASBEE-WOの評価項目のなかから特に重要な要素を絞り込み、ビルのウェルネス性能をより簡易かつ短時間で評価できる新たな認証制度「CASBEE-ウェルネス不動産(CASBEE-WR)」の開発が現在進められており、2025年度中の公開を目指している。
ウェルネスオフィスの普及を推進する上では、その便益(メリット)を定量的に示すことが重要である。ザイマックス総研でもこれまでにCASBEE-WOの取得物件における賃料プレミアムを推計し、CASBEE-WOの経済価値を報告してきた(*1)。今回は、新認証制度「CASBEE-WR」の開発に携わる千葉大学 林立也准教授と共同研究を行い、CASBEE-WR(試行版)を用いて、ザイマックスグループが管理する既存オフィスビルを対象に、ウェルネス性能と経済価値(賃料・空室率)の関連性を検証した。
本レポートは、その結果の概要を紹介するものである。なお、詳細な分析手法や検証過程については、2026年2月発行予定の「日本建築学会技術報告集」に掲載される「既存オフィスビルにおけるウェルネス性が不動産賃料と空室率に与える影響に関する研究」(中村光我、林立也)を参照されたい。
2. ウェルネス性能の評価
本研究では、まずザイマックスグループが管理するオフィスビル134物件を対象に、CASBEE-WR 2025年版 評価マニュアル(試行版)(*2)に基づくウェルネス性能の簡易評価を実施した。評価は、3つの大項目、8つの中項目、合計25の小項目に対して行った(図表1)。具体的には、物件資料の確認および物件管理者へのヒアリングを通じて各項目にスコアを付与し、その合計スコアに応じてランク分けを行った。同時に、各ビルの過去1年間の月次データから、賃料(円/坪)と入居率(%)を経済価値指標として整備した。
【図表1】評価項目
図表2はランク別の件数と各要素の平均値を示している。対象物件の多くはB+およびB-ランクに集中しており、多くの既存ビルにはウェルネス性能の改善余地が残されていることが分かる。平均値をみてみると、ランクが高い物件ほど竣工年が新しく、延床面積も大きい傾向がみられ、比較的新しい大規模ビルでは設計段階からウェルネス要素が取り入れられてきたと推測される。また、ランクが上がるにつれて賃料も上がり、特にAランク以上ではほかのランクに比べて顕著に高い水準を示した。一方、入居率については、B-ランク以上で94%〜95%と高い水準で安定しており、一定水準を超えるとランク間の明確な差は確認されなかった。
【図表2】ランク別の内訳
3. ウェルネス性能の経済性分析
不動産の経済価値(賃料・空室率)を左右する要因としては、一般的に新・近・大という3つのパラメータが広く知られている。本研究では、これらの従来要因の影響を統制した上で、CASBEE-WRスコアが賃料や空室率にどの程度の影響を与えているかを検証するため、重回帰分析を実施した。
説明変数には、竣工年、延床面積(対数変換)、最寄駅までの徒歩分数に加え、首都圏フラグ(一都三県に所在するか否か)、利用可能な鉄道路線数(*3)、リニューアル(*4)の有無、既存の総合環境性能評価ツール「CASBEE-不動産」の有無、そしてCASBEE-WRスコアを投入した。目的変数は賃料および空室率(*5)とした。分析には、多数の説明変数のなかから真に意味を持つ要因を抽出し、ノイズの影響を除去するために変数選択の機能を持つLasso回帰を用いた。
賃料モデルの結果は不動産市場の基本原則と整合的であった。すなわち、ビルが新しいほど、規模が大きいほど賃料は高く、駅から遠いほど賃料は低下する。これに加えて、CASBEE-WRスコアが1点上昇するごとに、賃料は約84円/坪上昇する効果が推計された(図表3)。このことは、ウェルネス性能の高さが従来要因とは独立して賃料プレミアムを生み出す可能性を示している。
【図表3】CASBEE-WRスコアによる回帰分析(賃料)
一方、空室率を目的変数とした分析では、首都圏に立地することや延床面積が小さいことが空室率の低さに結び付く傾向は確認されたものの、CASBEE-WRスコアと空室率との間には有意な関係はみられなかった。
4. 個別のウェルネス要素の経済性分析
前章では、ウェルネス性能をCASBEE-WRスコア全体で捉え、賃料や空室率との関係を分析した。本章ではさらに踏み込み、具体的にどのような要素が賃料や空室率に寄与するのかを検証する。分析対象はCASBEE-WRを構成する8つの中項目(防災対策、安心・安全対策、デザイン性、リフレッシュ、室内環境質、維持管理・運営、空間・内装、情報通信)である。多数の説明変数から統計的に意味のある要因を抽出するため、ステップワイズ法を用いて回帰分析を行った。
分析の結果を図表4に示す。賃料に対して特に寄与する可能性が高いウェルネス要素は、「防災対策」「デザイン性」「空間・内装」であった。なかでもデザイン性の係数は0.20と、竣工年よりも強い影響を持つ可能性が示唆された。なお、「維持管理・運営」の係数は負の値を示したが、法律に定める特定建築物(*6)に該当する大規模ビルほど厳しい採点を受けるためであり、維持管理・運営が直接的に賃料を押し下げると単純に解釈すべきではない。
空室率については、スコア全体では有意な関係はみられなかったが、中項目別にみると、「室内環境質」が高いほど空室率が低い傾向が確認された。快適で健康的な室内環境が、テナントの長期入居を促す重要な要因である可能性が示される。一方で、「デザイン性」が高いと空室率も高くなるという、直感に反する結果も得られた。この点については明確な結論に至らなかったが、例えば「デザイン性の高い物件はこだわりの強いテナントを引きつける一方で、契約合意するまで空室期間が長くなる」といった可能性が考えられ、今後の研究課題として追加検証が必要である。
【図表4】CASBEE-WR中項目による回帰分析(賃料・空室率)
5. まとめ
本研究は、ウェルネス認証の有無にかかわらず、既存オフィスビルのウェルネス性能が経済価値に与える影響を検証したものである。分析の結果、建物全般のウェルネス性能を表すCASBEE-WRスコアが1点上昇すると賃料が約84円/坪上がる傾向が示され、オフィスのウェルネス性能が経済的なプレミアムを生み出し得ることが確認された。さらに、賃料には「デザイン性」「防災対策」「空間・内装」といった要素が寄与しており、空室率に対しては「室内環境質」の改善が効果的である可能性が示唆された。
一方、本研究では、対象となる物件数や経済性データ数が限られているという点や、モデルの説明力(決定係数)が低いといった点で課題が残されている。ザイマックス総研は、千葉大学 林立也研究室との共同研究を継続し、対象物件や長期時系列の経済性データを拡充するとともに、分析手法の改良を進める予定である。
働き方やオフィス需要が多様化するなか、オフィスの「ウェルネス性能」は従業員の健康と生産性を支えるだけでなく、不動産の資産価値そのものを左右する重要な投資要素となりつつある。本レポートがその理解を広げ、ウェルネスオフィスの普及と市場浸透に寄与することを期待したい。
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