ザイマックス総研は、2015年に「ビルオーナー実態調査」(*1)を開始して以降、継続してビルオーナーへのヒアリングを実施し、ビルの改修や運営工夫の事例を収集してきた。その知見をもとに「中小規模ビルのベストプラクティス事例集」(*2)をこれまで2回公表している。
本レポートは、その第3回として、2025年11月に開催したセミナー「築古化するビルのゆくえを考える」で紹介した2つの実践事例をとりまとめたものである。ビルオーナーをはじめとする賃貸ビル関係者の参考となれば幸いである。
1. ベストプラクティスの位置づけ
ビルの価値向上策としては、リニューアルや耐震補強といったハード面の改修と、清掃・管理の徹底、テナントサービスの向上、地域との連携などのソフト面の施策が挙げられる。しかし、どの施策がどの程度の効果を生むかはビルごとに大きく異なり、一般化された指標も少ないのが現状である。
そこで、ザイマックス総研では、「中小規模ビルの価値向上」をテーマに、ビルオーナーが実際に取り組む工夫や実践を収集し、横断的に整理することでベストプラクティスとして紹介している。
今回紹介するのは以下の2つの事例である。
- 築古ビルにおいて投資を抑えつつ最大限の効果を上げた事例(福井県福井市、東京都)
- 築古ビルの改修がビル単体の価値向上にとどまらず、地域活性化を促す取り組み事例(東京都)
2. 築古ビルを小さな工夫で再生する取り組み(福井市、東京都)
オフィスストックの築古化が進む中、建築費の上昇に対して、建替え後の賃料上昇が追いつきにくく、スクラップ&ビルドではなく既存ストックの再生に注目が集まっている。しかし、「費用対効果が見えにくい」「投資が重い」といった理由で着手が進まないケースも多い。本章では、テナント運営・リノベーション事業を行うテナワン株式会社(以下、テナワン)代表の石田氏へのインタビューをもとに、小規模ビル(100~300坪規模)の再生ノウハウを紹介する。
2.1. 取組の特徴その1「小規模投資でも確実に回収できる投資スキーム」
テナワンは、延床面積が100~300坪規模のビルを中心に扱っている。具体的には、オーナーが持て余しているビルやフロアを「3~5年で投資を回収できる規模感」で購入または賃借し、物件の特性に応じた改修・運営を実施している。
改修するうえでの課題として最も多く挙がるのは電気容量の不足である。小規模ビルの多くは低圧引き込み仕様で、近年のテナントニーズに応じた電力需要を賄いきれないケースが多い。また、既設が高圧受電の場合でも、老朽化した受変電設備の更新は高額な費用がかかるため、状況に応じて低圧受電の2回線化を電力会社と協議することが必要となる。さらに、給排水管の更新も課題であり、状況に応じた対応や工夫が欠かせない。テナワンは、このように電気容量や給排水管の更新といった重要な部分に対して的確な判断を下せるノウハウを活用することで、改修にかかる費用を新築建築単価の1/6~1/5程度に抑えている。
2.2. 取組の特徴その2「個別運営と地域連携」
テナワンは、ビルの価値向上策を実施するうえで、物件ごとに最適なパートナーと連携して事業を進めている。現場ごとに異なるステークホルダーと組む柔軟な体制が、持続可能な運営を支えている。
- 福井市の事例では、地元工務店や設計事務所、第3セクターのまちづくり法人と協働し、地域支援を受けながら運営している。
- 東京都の事例では、カフェ運営経験のあるアーティスト支援企業と共同事業化し、まちに開かれた空間を提供している。
2.3. 事例紹介
事例①:福井市の旧専門学校ビル再生 ― 地方再生のモデルケース
福井市で取得した築50年の元専門学校ビル(延床面積約200坪)は、土地評価額が相当の価格にも関わらず、解体費用が高額で土地評価額を上回ることから買い手がつかない状態にあった。そこで、この物件を安価で購入し、解体することなく約4,000万円の改修と1,000万円程度の設備投資を行い、そのうち1,600万円は国および県の補助金を活用した。その結果、年間収入1,000万円を確保し、約3年で投資を回収した。現在はシェアオフィスと店舗として稼働している。
また、同市内の別物件では、全館空室でエレベーターも稼働できない状態の元スナックビル(延床面積約400坪)を月10万円で借り上げ、電力系統を低圧化してリノベーションを実施した。当該物件は、レンタルスペース・住宅・カフェとして8年間運営され、カフェは外部とのコミュニケーション拠点として機能し、知事視察も行われるなど、地域活性の象徴的な存在となった。
事例②:東京都内築古ビルの活用 ― 都市型リノベーションの実践
東京都台東区の御徒町では、運営方針に迷っていたビル(延床面積200坪)に対し、サブリース契約を締結し、老朽化した設備を効率的に更新した。具体的には、給排水管を外部に刷新し、低圧2回線を引き込み電気容量を確保し、その結果、1階にカフェ、上階にオフィスを配置する複合利用型の再生モデルを実現した。
本事例は、カフェ事業者との共同事業とし、「将来的な建替えを見据えつつ、今後20〜30年まちに開かれた形で有効活用する」ことを目的として運営している。ビルは小規模ながらも、地域に賑わいをもたらし高い稼働率と収益性を維持している。
事例③:都心の"遊休フロア"を再生
東京都港区の西麻布にあるビルでは、空室が続いた1フロアと屋上を賃借し、約2,300万円を投じて改修を実施し、複数社のシェアオフィスとして転貸している。投資回収にかかった期間は約3年である。
また、港区三田にあるビルでも、オーナーが居住していた最上階35坪をオフィス仕様に改修し転貸した。こうした「部分リノベーション型の再生」は、短期間で成果を出しやすい都市型モデルとして注目されるだろう。
2.4. 今後の展望 ― "地方×観光"の新しいかたちへ
テナワンは、福井県の永平寺近くの築130年の古民家を、所有者からの依頼で一棟貸しの宿泊施設として再生する計画を進めており、2026年7月開業を予定している。
代表の石田氏は「沖縄でも同様のプロジェクトを始めたい」と語り、地方での事業拡大にも意欲を示している。これらの取り組みは、老朽化したビルや住宅を"負の遺産"ではなく"まちの資産"へと変える実践である。
改修コストを抑え、地域やパートナーと連携しながら価値を再構築する。そこには、「規模よりもスピードと実効性」を重視する明確な哲学がある。この小さなリノベーションは、やがて大きなまちの再生へとつながっていくだろう。
3. 築古ビルの価値向上がエリアのまちづくりに(東京都)
安田不動産株式会社(以下、安田不動産)は、かつて安田財閥の所有地であった土地に多くの不動産を所有しており、オフィスビル、住宅、商業施設など多岐にわたる不動産事業を展開している。これまでは、大規模な区画統合開発も含めた事業展開を行ってきたが、近年のテナント獲得競争の激化などを背景に、神田錦町や日本橋浜町エリアでは、地域資源を活かした独自の魅力づくりに取り組んでいる。以下は日本橋浜町エリアの取組事例を紹介していく。
3.1. 取組の特徴その1「まちの良さを生かした建物の有効利用」
東京都中央区の日本橋浜町は、古くから伝統工芸や製造業が集積し、下町として商業と住宅が共存し発展してきた。しかし近年は、地価高騰や周辺の再開発に伴いマンションが増加し、街並みや土地利用のあり方が変化してきている。さらに、建築費の上昇も加わり、従来の建替えによる事業展開は採算面におけるハードルが高まっている。
安田不動産は、こうした環境変化を踏まえ、日本橋浜町エリアにおいて築古ビルのリノベーションを積極的に進めてきた。対象となったビルには、ミシュラン掲載の店舗やカフェ、クラフトショップ、ギャラリーさらにサウナ&ランニング施設などを地道に誘致している。これらの施設を「街なか店舗」としてまち全体に点在させることで、「働きたい、住みたい、また来たい」と思える魅力的なまちづくりを推進している。こうした取り組みは、近年の価値観の多様化にも適応しており、大型ビルにはない個性や回遊性を生み出すことで、エリアの魅力を創出している。また、従業員の満足度も高めることにも貢献している。さらに、ビルの価値向上と長期的な安定運営を見据え、耐震対策や専有部への非常用発電設備の設置、浸水対策など、安全性・防災性を高める対策も積極的に実施している。
3.2. 取組の特徴その2「ビルオーナーの自発的な活動と企業誘致」
このエリアの活性化はテナント主導の活動ではなく、ビルオーナー主導の活動である。具体的には、町内会や商店会といった地元団体や、地元企業、個人からなるエリアマネジメントの組織の結成、地域情報誌や地域発信WEBサイトの開設、「マルシェ」や「きれいプロジェクト」などの地域イベントの広報活動を活発に行っている。テナント誘致のほか、休日・夜間人口が少ないという課題に対し、料理教室やテナント対抗の綱引き大会を開催するなど、テナントと住民・来訪者間の交流を促進している。なお、オフィステナントの多くは、大手町・丸の内エリアの企業の分社や、取引先企業である。賃料の安さを理由に入居しているケースが多いが、「まちとの関係性」や「新しい発想」を求めて移転してきた企業もあり、文化と交流が生み出すブランド価値のあるまちを作っていきたいという意識は高まっている。
3.3. 事例紹介
事例①:街なか店舗(カフェ・レストラン・物販など)
スプラウト日本橋浜町ビルは、まちの賑わい創出を目的に、築30年のオフィスビルを複合施設へとリノベーションした事例である。1階をクラフトショップとカフェに用途変更し、人気の高いテナントを誘致した。
また、HAMA1961では、大手百貨店内を中心に、青山や丸の内などにも店舗を構えるフランスの老舗シューメーカーを誘致し、日本橋浜町のブランド価値の創出に寄与している。
さらにこのエリアでは、物販店や飲食店、LABO、ホテルなど多様な用途の店舗が集積し、来街者の滞在時間を伸ばすまちづくりが進んでいる。その背景には、個性あるセレクトショップや地域性を生かした専門店を点在させることで、日本橋浜町を拠点とした回遊性の向上に寄与している。これらの施設が相互に連携し、働く・暮らす・訪れる人々が交差する、魅力あるエリア形成が実現している。
事例②:街なか店舗(ウェルネス)
日本橋浜町にある築58年の木造建物と築43年の鉄筋コンクリート造建物は、隅田川沿いのランニングカルチャーを発信する拠点として一体的にリノベーションされた事例である。鉄筋コンクリート棟にはサウナ・バーを併設した(新しいスタイルの)ランニングステーションを、木造棟にはクリエイティブオフィスをそれぞれ配置し、複合的なウェルネス施設として整備されている。
3.4. 今後の展望 ― 大手町・丸の内との関係性と将来の展望
今回紹介したエリアは、大手町に近く、賃料が安いという優位性を持つ。しかしその反面、大手町・丸の内エリアの賃料変化の影響を受けやすいという課題を併せ持っている。こうした状況を踏まえると、今後は単に大手町の関係会社をターゲットとするだけでなく、大手町とは異なる独自の「住み分け」を図っていくことが重要である。そのためには、中小企業オーナーに加えて、周辺に多く存在する大学や出版社といった「文化の香り」がする地域資源と連携していくことが欠かせないと安田不動産は考える
また、これらの事例は、多くの不動産を所有する一企業だからこそ実現できたものでも、都心部に立地しているから可能だったものでもない。重要なのは、個別ビルの収益最大化にとどまらず、エリア全体の魅力向上を目的として、オーナー自らが主体的に関与し、点的な施策を面的に展開することである。安田不動産の事例は、都心以外のエリアにおいても、課題を抱える複数のビルオーナーが連携することで、各ビルオーナーが個別に取り組む以上の価値向上につながる可能性を示す参考事例といえるだろう。
ザイマックス総研は、これからもビルオーナーの参考となるアンケート結果やデータ分析、ベストプラクティスの紹介などを行っていくつもりである。
<謝辞>
本レポートの作成にあたり、取材にご協力いただきました関係者皆さまに心より御礼申し上げます。





