リスクベース保全(RBM)による修繕予算配分の最適化と賃料への影響

~修繕の経済性 Vol.1~

はじめに

オフィスストックの高経年化が着実に進行する中、ザイマックス総研ではこれまで、修繕やリニューアルの実施が資産価値向上に有効であることを実証してきた(2016年(*1)、2025年(*2))。

しかし、予算制約のあるビル経営において、全設備の画一的更新は現実的ではない。オーナーが真に求めているのは、「限られた予算をどう配分すべきか」という最適解であろう。

そこで今回は、視点を「実施の有無」から「予算配分」へと深化させる。「リスクベース保全(RBM)」の概念を用い、修繕予算の使い方の違いが賃料に与える影響を検証する。本稿は、修繕投資の経済性を多角的に検証する新シリーズの第一弾として、データに基づく戦略的な維持管理のあり方を提言するものである。

1. 保全方式の分類とリスクベース保全(RBM)

分析に先立ち、本レポートで扱う保全方式の考え方を整理する。

建物の維持管理手法には、大きく分けて「事後保全(BM)」「時間計画保全(TBM)」「状態監視保全(CBM)」の3つが存在するが、これらはコストとリスクのトレードオフの関係にあり、単独の手法ですべての設備を管理することは経済的ではない(詳細は【図表1】参照)。

そこで、これらを統合し最適化する戦略として重要となるのが「リスクベース保全(RBM)」である。これは、設備停止が事業に与える影響度(リスク)を評価し、低リスクな設備にはコストを抑えた「事後保全(BM)」を、高リスクな重要設備には信頼性の高い「時間計画保全(TBM)」と「状態監視保全(CBM)」(以降、両者まとめて「計画保全」という)を適用するというように、リスクに応じて手札(保全方式)を最適配分する考え方である。

本分析では、このリスクベース保全(RBM)の観点に基づき、実際の修繕履歴データを「計画的な投資(良質な保全)」と「突発的な出費(リスクの顕在化)」に分類し、その構成比率が価値に与える影響を検証する。

【図表1】保全方式の分類と特徴

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2. 分析手法とデータ概要

分析手法:ヘドニック・アプローチによる修繕の「量」と「質」の分離

オフィスビルの修繕状況が賃料に及ぼす影響を検証するため、ヘドニック・アプローチを用いた重回帰分析を行った。

賃料はビルの「立地」「規模」「築年数」「設備スペック」といった基本特性に大きく依存するため、本分析では、これらの要因を統計的に制御した上で、さらに「修繕の量(坪当たりの投資総額)」と「修繕の質(修繕予算の配分比率)」が賃料評価に独自に与えるインパクトを抽出・算出した。

利用データと結合プロセス

分析には、ザイマックスグループが管理・運営に携わるオフィスビルの実務データを用いた。

データソース:

● 対象期間:2011年1月1日~2025年12月31日

● 修繕履歴データ:190,739件(日常的な小修理から大規模更新までの全履歴)

● 成約賃料データ:61,636件(実際にテナントと合意した賃料)

これら修繕データと成約データを建物単位で突合し、成約年を基準に直近5年間の修繕履歴を付与したうえで分析を行った。最終的に、欠損のない4,705件の成約事例を分析対象とした。

変数の定義と評価期間

本分析では、ビルの管理状態が短期的な工事だけで決まるものではないことを考慮し、成約時点から遡る過去5年間の修繕履歴を集計(移動合計)し、以下の指標を算出した。

● 修繕投資額(量の指標)

 直近5年間の修繕費総額を年換算した坪単価。単年度の支出変動を平準化し、恒常的な投資水準を示す(単位:円/坪・年)

● 計画保全比率(質の指標:良質な投資)

 過去5年間の総修繕費のうち、年度予算として計上され、計画に基づいて実施された工事(予防保全、機能向上更新等)が占める割合。これは、オーナーが建物の状態を把握し、意図を持って投資を行っている度合いを示す

● 高額事後保全比率(質の指標:リスク顕在化)

 過去5年間の総修繕費のうち、予算化されずに突発的に発生した、一件あたり200万円以上の高額修理が占める割合。これは、適切な時期に更新が行われず、「壊れてから直した(リスクが顕在化した)」状態を示す指標として設定した

分析対象データの基本統計量

分析に用いたデータの基本統計量を【図表2】に示す。

【図表2】分析用データの各変数の分布状況(度数割合)

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各変数の分布状況からは、以下の特徴が読み取れる。

(1)賃料と修繕投資額(定量的側面)

「成約賃料(【図表2】左上:黒)」は一般的な正規分布に近い形状を示しており、市場の実態を偏りなく反映したデータセットとなっている。一方で、「修繕投資額(右上:グレー)」は対数正規分布(対数軸で左右対称)の形状を示しており、多くのビルは低コストで運用されているものの、一部に非常に高額な投資を行っているビルが存在するという、典型的なロングテール構造(*3)が見て取れる。

*3 度数分布において、大多数が低い数値に集中する一方で、高い数値(極端な値)をとるデータが散在し、分布が右側へ長く伸びている状態のこと。動物の尻尾のように、分布の裾(テール)が細く長く伸びる形状からこう呼ばれる。

(2)保全比率(定性的側面)

修繕投資の「質」を示す下段の2つのグラフは、それぞれ特徴的な分布形状を示しており、管理方針の違いが表れている。

● 計画保全比率(左下:緑):

 事後対応中心の層(左側)がいる一方、高比率帯(右側)にも山がある。これは予防保全や計画更新を確実に実行している「戦略的なオーナー層」が一定数存在することを示している

● 高額事後保全比率(右下:黄):

 0%付近にピークを持つが、右側へ伸びるロングテール構造が特徴的である。大多数は安定稼働しているものの、右側の裾野には高額な突発修理が生じている物件群が含まれており、「リスクの顕在化」が示唆される

本分析では、この「投資姿勢のばらつき」と「リスク顕在化の有無」が、賃料形成にどのような差異をもたらすかを統計的に検証する。

3. 分析結果:修繕の「量」と「質」の影響

前章で確認した通り、投資姿勢にはバラつきが見られた。では、こうした管理状態の違いは、実際のオフィス賃料にどのような差をもたらしているのだろうか。重回帰分析による推計結果を以下に示す。

(1)推計結果の全体像(係数一覧)

【図表3】は、賃料決定要因の推計結果である。

● 基本変数の確認(モデルの妥当性):

 「築年数」や「駅距離」などの係数はマイナスとなり、一般的な市場感覚と一致した。これにより、本モデルが高い信頼性を持つことが確認できる

● 修繕投資の「量」の影響:

 本題である「修繕投資額(量)」については、統計的な有意差が見られなかった。これは「単にお金をかけるだけでは賃料は上がらない」という事実を裏付けている。テナントにとって設備の正常稼働は「当たり前」であり、コストの多寡だけではプラスの評価に繋がらないためであろう

(2)予算配分(修繕投資の質)のインパクト

一方で、投資の「質」を示す変数は、いずれも統計的に有意な結果を示した(【図表3】ハイライト部分)。

● 計画保全比率のプラス効果:

 修繕費全体に占める計画保全の比率が10%高まるごとに、賃料は約0.4%上昇する傾向が見られた

● 高額事後保全比率のマイナス効果:

 一方、高額な事後保全の比率が10%高まると、賃料は約1.5%下落する傾向が確認された

【図表3】重回帰分析による推定結果(抜粋)

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(3)最大スプレッドと市場評価の構造

この結果を可視化したのが【図表4】である。プラスの影響(+0.4%)よりマイナスの影響(-1.5%)の方が圧倒的に大きく、市場評価が「加点」より「減点方式」に近いことを示している。「計画管理」への評価以上に、「管理不全」という事実がテナント評価へ深刻に響いていると考えられる。

仮に計画保全100%のビルと高額事後保全100%のビルを比較すると、理論上の賃料格差は約18.8%にも達する。これは修繕戦略の巧拙が、立地や築年数などの物理的条件と同等以上に、ビルの収益力へ決定的な差を生む要因となり得ることを示唆している。

【図表4】予算配分の「質」が賃料に与える影響

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4. 考察

本分析の結果、投資総額(量)よりも予算配分の違いが収益力に差をもたらすことが確認された。特に突発的なトラブルが招く「減点評価」は甚大だが、全設備を計画保全にすればコスト高止まりのリスクも生じる。 この二律背反を解決するのが「リスクベース保全(RBM)」である。実践のカギは、設備ごとのリスクを見極めた以下の使い分けにある。

● 高リスク設備(停止不可):

 事業継続やテナント満足度に直結する重要設備には予算を重点配分し、確実に計画保全適用することで、致命的な賃料下落(ペナルティ)を防ぐ

● 低リスク設備:

 故障しても影響が限定的な設備については、あえて「事後保全」と割り切ることで、過剰な投資を抑制し、全体のコストバランスを調整する

このようにリスクに応じたメリハリある投資判断こそが、コストを抑制しつつ資産価値を最大化する有効な道筋であろう。

おわりに

本レポートでは、修繕の経済性に関する実証分析の第一弾として、修繕投資の予算配分と賃料の関係を検証した。2016年の研究では「計画的・継続的な修繕の実施」自体の有効性を示したが、今回の分析ではさらに踏み込み、「計画的な投資(良質な保全)」と「突発的な出費(リスクの顕在化)」が賃料に与える影響の対照性を明らかにした。

分析の結果示唆された「リスクベース保全(RBM)」の実践には、建物の状態や設備ごとのリスクを正確に見極める高度な判断力が不可欠である。今後は、専門的知見を活用し、客観的なデータに基づいて投資判断を行う「戦略的な維持管理」が、より一層求められることになるだろう。

ザイマックス総研では、本レポートを皮切りに「修繕の経済性」に関する研究を継続していく。今後は、解像度の高いリスク分析に加え、設備種別ごとの深掘りや、修繕が建物の長寿命化・環境性能(ESG)に与える影響など、多面的な視点からの検証結果を発信していく予定である。